膝人工関節置換手術を受けるに至った経緯

30年以上前にスキーで痛めた左足が10年以上前から荷重をかけると痛み出しました。それで自然と右足に7割から8割の荷重をかけるようになっていました。登山、ゴルフ、スキー等すべて右足を軸とする動きになっていきました。今年(2022年)の2月スキーに行った時のことでした。リフトからすんなりと降りることが出来なくなっていました。リフトから降りるには腰をすっと持ち上げなければなりません。ところが腰が持ち上がらなくなっていたのです。リフトの係員から早く降りてくださいとせかされやむなく腕の力を使って飛び降りました。その時に利き足の右足を固い雪面に激突させて痛めてしまいました。すぐスキーを止めて安曇野でよく知られている整形外科院でレントゲンを撮ってもらいました。すると確かに痛めた右足は外側に骨が突き出ているが左足はもっとひどく軟骨が残っておらず人工関節に取り換えた方がいい状態だと告げられました。それまで手術を受けることは一度も考えたことがなかったのですがこれを機に良く考えてみることにしました。両脚の関節を手術した旧友からは手術を勧められるし家内の友人からは足関節の人工関節置換手術は易しい手術だと言われるなど急に手術が身近に感じられるようになりました。インターネットで調べてみると数多くの足膝人工関節置換手術の事例が見つかり手術の成功率も高く90歳以上の人にも可能な比較的安全な手術であることが判明しました。利き足だった右足を痛めた以上このままでは何のスポーツも出来なくなります。数か月手術とリハビリに費やしてもその後死ぬまで活動できるなら手術を受けない手はありません。翌日レントゲンを撮ってくれた整形外科医院に行き東京に戻って東京医療センターで手術を受けたいと告げ紹介状を書いてもらいました。

 

東京医療センターを選んだ理由

1. まず東京の自宅に近いこと。コロナの影響で全面面接禁止であっても入院後必要なものを届けてもらうにはやはり自宅に近いに越したことはない。実際には家内が病室近くのスタッフステーション(以前ナースステーションと呼ばれていたものがナース以外の職種のスタッフもいることから呼び方が変わっていた)にものを届けるとナースがそれを受け取って私の病室に届ける仕組みになっている。

2. 病院選択の最重要要件は同種手術の実績が豊富なことです。

3. さらに注目したのは手術に伴う合併症に臨機応変に対処できる体制であることです。東京医療センターは総合病院なのでほとんどの合併症に対して直ちに対応できます。実際に痛みよりも次から次へと出てくる合併症でつらい思いをしたのです。

4. 利便さ
東京医療センター内の一階にはエクセシオールカフェを始めレストラン、本屋、理髪店、美容院、寝間着とタオルのレンタルショップ、ローソンコンビニ等が入っていて院内を歩き回れるようになればほとんどのものを手に入れることが出来ます。

 

病室について

東京医療センターに入院するにあたって希望する部屋のタイプを決めなければなりません。今回受ける手術は最初の二日ぐらいはかなり痛みが激しいと聞いていたので最初の二日ほど一人部屋にしてその後で大部屋に移ればいいかなと考えていました。ところが料金を調べてみると個室の場合には保険がきかず設備の整った部屋を選ぶと一泊56万円もすることがわかりました。もし痛みが取れずに二日で退散できなくなれば大変な出費になります。結局保険のきく大部屋を申し込むことにしました。よく考えてみたらこれが正解でした。私が入った部屋は大部屋と言っても四人部屋でスペースが四つに区切られていてそれぞれの区画が専用のカーテンで他から隔離されていました。結局一つ一つのコンパートメントは小さな個室のようなものです。それぞれのコンパートメントが独自のカーテンで仕切られているのでお隣さんとの境は二つのカーテンで仕切られています。そんなわけで考えようによってはこじんまりした個室に入ったようなものでした。それぞれのスペースは三畳間ぐらいの広さですがパラマント製の電動式ベッドが設置されていてその横には幅50cmほどの棚があり棚の最下段に冷蔵庫、その上にかなり深い引き出し、パソコン等が置けるぐらいの大きさのスライド式テーブル、そしてその上の段には左側に電源とTVカード挿入口、右に小物を入れられる金庫があります。その上の段には上下左右に回転できるテレビが設置されていて其のテレビの上の棚最上段には持ち込んだ衣類や本、その他を入れるに十分な広さのクローゼットが付いています。テレビを見るにはTVカード(一枚1000円)を購入してTVカード差し込み口に挿入します。一枚のカードで視聴できるのは19時間です。私は三週間入院中に三枚使いました。個人部屋ではないので視聴する際はイヤホーンを使わなければなりませんが慣れれば苦になりません。入院中に他の同室者のいびきが聞こえたのは一度か二度でしたので保険のきく大部屋を選んだのは正解でした。

 

寝間着とタオルについて

自分のものを使うのは洗濯するのが大変なのでレンタルすることにしました。 寝間着は1330円、タオルは1220円で二日ごとに新しいものと取り換えてくれます。タオルは小タオル二枚とバスタオル一枚セットです。シャワーは二日おきに入ったのでこれで問題ありませんでした。

 

病院食について

食事は毎日朝、昼、晩と決められた時間に出ます。朝食と昼食は二種類用意されていて前もって先三日分を選択しておくことができます。朝食は和食と洋食風のもの、昼食は麺類かご飯というふうに選択肢があのですが夜食は常食となっていて選択できません。すべての食事は1800キロカロリーとなっています。普段家で食べているものと味が変わらないのは毎朝ついてくる200mlの森永牛乳パックと白米だけでその他のおかずは量が極端に少ない上ほとんど味が感じられません。最初は味が感じられないのでコロナにでも罹ったのかなと疑ったほどです。グルメの方でしたらとても我慢できないのではないでしょうか。粗食に慣れている私でも戦後初めて銀シャリを食べて感激した時のことやウクライナで大変な思いをしている人たちのことを思いながら完食に勤めました。

 

痛みについて

脚膝人工関節置換手術はかって外科手術の中で最も痛い手術と言われていたそうですが痛みを和らげる手法が研究され現在では患者にそれほど痛い思いをさせないようになっています。入院前に以前手術した知人に手術日と翌日は七転八倒の痛みだと聞いていたので覚悟していましたが私の感覚では痛み度6か7程度でした。この痛み度というのは我慢できない痛みを10として痛みのない状態を0とした場合どの程度の痛みかを患者の感覚で表現した数値です。インターネットで見たある整形外科病院での脚膝人工関節置換手術後の痛み評価では4レベルと答えた患者が多かったとの記録もありました。しかしながら私の場合には痛み度8ないし9を感じる時がありました。一つはリハビリで理学療法士(リハビリを援助指導する国家資格もった専門職)が毎回リハビリ運動を始める前に炎症を起こして熱をもって腫れている関節を力ずくで屈伸させる時です。毎回屈伸のレベルを分度器で測るのですが私が我慢できなくなり「痛い―」と叫ぶまで屈伸させるわけです。脚をぴんと伸ばした状態が0度ですがそこから脚を曲げてゆくのです。術後最初は90度程度しか曲げることが出来ません。人工関節の構造上正座できるところまでは曲げられないことは手術前に告げられていました。リハビリの目標値は120度です。120度といえば内角は60度になります。120度まで曲げられれば自伝車に乗れるようになります。私の場合は退院時には115度まで回復しました。 話を痛みに戻すと二つ目の激痛は夕食後に飲んだ痛め止めの薬効が切れる真夜中にやってきます。リハビリの場合と違っていくら痛がっても収まりません。23時間氷で患部を冷やしたりマッサージをしたりして収まるのを待つしかありません。23時間我慢すると痛みは収まっていきます。この理由は後になってわかることになります。

 

痛み以外のトラブル

痛みは覚悟していたほど出なかったのですが私の場合には次から次へといろいろなトラブルが発生しました。下痢、不眠症、床ずれ、頻尿、血栓症です。入院時から時系列で説明します。

 

入院してから退院まで

2022323日入院、手術の説明を受けます。 まず服用中の薬全部を取り上げられます。私の場合は脳梗塞と高血圧対策の数種類の薬と導眠剤のマイスリーです。入院中は薬の服用を専属の薬剤師が管理します。この時入院中に服用する痛め止めの薬ロキソプロフェン錠21日分を見せられました。これで痛みが入院中続くのだなと悟りました。手術日の深夜0時から朝の6:30までの間に水500ml以上飲むことを要求されました。0時過ぎに500mlの水ボトルを一気に飲み干してマイスリーを飲みぐっすり寝ました。

翌朝いよいよ手術です。9時ちょっと前に看護婦が迎えに来ました。患者によってはベッドや車椅子で手術室まで運ばれるのですが歩いていけますかと訊かれ大丈夫と答えました。

手術室の病棟に入ると手術室がずらっと並んでいました。私の手術が行われるのは一番はずれの6号室でした。手術室に入ると担当医、助手、看護婦等数名が待ち構えています。壁には私の両膝のレントゲン写真がうつしだされ何本かの線が引かれています。骨を切り取る角度などが厳密に描かれているようでした。手術台に乗ると背中を丸めて横向きになるよう言われました。痛みを取りたい部位に対応した脊髄の高さに麻酔注入用の針を刺入し局所麻酔薬を投与します。麻酔薬の投与は手術中のみならず手術後も留置したチューブから持続的に局所麻酔薬を投与し、手術後の痛み止めとして使用します。これは全身麻酔とは別なものです。まもなく吸入麻酔薬を嗅がされ意識がなくなりました。目が覚めると1315分になっていました。9時にスタートした手術ですから4時間強かかったわけです。片方1時間半から2時間かかると聞いていたので無事成功したと考えてよいのでしょう。病室までベッドのまま運ばれ自分のベッドに寝かされました。痛みはさほどではないのですが身動きできないのがつらいです。気が付くと私の体に5本の管がつながっています。患部につながっている血液管、感染症を防ぐための抗生物質の注入管、水分を補給するための管、背中についたままの麻酔薬注入管、そして尿道深く挿入された尿道カテーテルです。これではなかなか身動きができません。後で知ったのですが全身麻酔で意識がない間に履いていたパンツを脱がされおむつ付きの紙パンツをはかされた上尿道に20cmもあるカテーテルを挿入されていたのです。男性の尿道にカテーテルを入れるナースのYoutube動画を見たことがありますがどんなナースが挿入したのかはちょっと気になるところです。病室に戻って夕食を食べ(電動ベッドなので程よい角度に体を起こして食べることが出来ました)暫くするとお腹の調子がおかしいことに気が付きました。明らかに下痢の症状です。いくらオムツをしていると言ってもベッドの上で漏らすのは嫌です。ナースコールのボタンを押しトイレに行きたいことを告げました。ナースが車いすでトイレまで運んでくれるのですが、これが大仕事です。何しろ体から出ている5本の管の先には袋や缶がぶら下がっているのですからチンドン屋が移動するような格好になります。トイレに着いても便器に座るのにぶら下がっている袋や缶が便器内に滑り込みそうでなかなか大変でした。やはりひどい下痢でした。付き添ってくれたナースにこんな下痢にかかる人は多いのかと聞くと約80%の人が下痢になりますとのことでした。注入している強い抗生物質のせいらしいです。そんなに多くの患者が下痢になるなら前もって説明して呉れとけばいいのにと思いました。それに下痢止めの薬を用意してくれてもいいのではとも思いましたが下痢止めの薬がもらえたのは二日後でした。抗生物質の影響を受けたのはこれだけではありません。手術を受けた日も次の日も導眠剤のマイスリーが全く効かなくなり一睡もできなくなったのです。三日目に看護師にマイスリーが効かなくなったので他の導眠剤を処方してほしいとお願いしました。四日目の夜9時の消灯前にルネスタ錠2mgが届けられました。これはマイスリーと同じく導眠剤としてよく使われるアメリカ製の薬です。飲んでみると暫くして強い眠気に襲われ眠りにつけたのですが3時間半ほどで目が覚めそれからは全く眠れませんでした。その次の五日目はこの導眠剤を飲んでも全く眠気を催さなくなりました。それだけでなく新しい問題が発生したのですが先に昼間の話をします。

 

二日目には体にぶら下がっていたもろもろの管も外され、残っているのは尿道管カテーテルと背中についている麻酔薬注入チューブのみになっていました。麻酔薬の方は痛みを感じた時にボタンを押すと新たに一定量の麻酔薬が体内に注入される仕組みになっていて麻酔薬が亡くなるまで使っていてよいことになっていました。三日目でちょうど薬が切れたのでチューブを外してもらいました。それと同時に尿道カテーテルも抜いてもらいました。それ以降は尿意を催すと昼間は自分で車椅子に乗りトイレに行き、夜間はベッドわきに置かれた尿瓶に出すことになりました。三日目の昼過ぎ看護師が来てシャワーに入りますかと言われました。もう入ってもいいのかと聞くとお手伝いをすると言われたのです。レンタルしていたタオルと家から持って来ていたボデーソープとシャンプーをもって看護師に車椅子を押してもらい浴室に行きました。衣服を脱いで浴室の介護用椅子に座るのを見届けると看護師は浴室から出ていきます。三日ぶりに入ったシャワーはとても気持ちがよかったです。シャワー室から戻って横になっていると尾てい骨の辺に痛みを感じました。そっと手で触ってみると皮膚がむけているようです。どうやら床ずれを起こしているようです。電動式ベッドは食事の時のみならず日に何度も上半身を起こす動きをするのでその都度身体が少しずつすれていたのです。これ以上痛くなっては困るのでナースコールで薬を頼みました。すると先ほどシャワー室に同行してくれた看護師が来て先ほど浴室で見た時には床ずれは見られなかったのにと言ってまた見せてくださいと私のズボンをずらして床ずれの個所を写真にとって行きました。しばらくして床ずれ用軟膏を持ってきてくれたのです。その軟膏のおかげと体を横たえて寝そべるようになったせいか床ずれ問題は解消しました。三日目にはこれからは自分の力で動き回れるようにと車椅子の操作法も習いました。前進、後退、回転にブレーキだけの操作ですから数分でマスター出来ます。

 

ここで話を五日目の夜に戻します。急に頻尿が始まったのです。夜間に11回も尿意を催し尿瓶があふれてしまったのです。こうなると導眠剤など全く役に立ちません。眠る暇などないのです。この状態が二日続いたところで看護師に相談しました。自宅にいた時には夜中にトイレに一度も行かないかせいぜい一度で済んでいたのでかなり異常な状態ですと。すると看護師は尿道カテーテルてるから菌が入って起こる尿道炎かもしれないので尿の検査をしましょうと言い私の尿を取っていきました。翌日になって検査の結果がわかったようで薬剤師が朝晩一日二回づつ飲むようにとシロドシンOD(4mg)を持ってきました。この薬は強い副作用があって立ち眩みを起こしやすいからベッドから起き上がる時に注意してくださいと言われました。三日目あたりから持ち込んだパソコンが使えるようになっていたので早速インターネットでこの薬を調べてみました。なんと前立腺肥大症の薬でした。 副作用を調べてみると一過性意識喪失というのは書いてはあるのですがそれより先に射精障害と逆行性射精と記されていたのです。この歳になって射精障害など関係ないと思いますがこんな薬があるのには驚きました。この薬を服用し始めてから数日で頻尿も収まってきました。導眠剤もマイスリーに戻してもらい少しずつ睡眠もとれるようになってきましたが術後一週間で眠れたのは合計6時間半でしたので一日平均1時間も寝ていなかったわけです。その割には元気で毎日のリハビリはしっかりとこなしていました。痛みはあっても歩く方の回復は順調で四日目からは歩行器でトイレに行くようになりました。トイレに行くには車椅子より歩行器に方がずっと楽なのです。痛みを強く感じるのは膝を屈伸する時です。歩行器を使えばトイレを使う時の膝屈伸回数が車いすで行くときの半分以下になります。結局車椅子を使うのは一日で卒業して四日目からは歩行器で動き回ることになりました。その歩行器も数日で卒業し一週間たったごろからは杖を使っての自力歩行になりました。このようにして手術後十日ほどするとかなり安定した状態となりテレビやパソコンを見たり本を読んだりする余裕が出てきました。しかし一つだけ大きな問題が残っていました。それは真夜中に襲ってくる激痛です。起き上がって患部を手でマッサージしたりアイシングしたりして収まるのを待つしかありません。二時間ほどで痛みは治まるのですが私にとって夜中の2時〜3時は魔の時間帯でした。この激痛が昼間に起きずになぜ夜中に起こるのか長いこと謎でした。退院後2週間ほどしてこの謎が解けることになります。入院中はいろいろ原因を考えました。最初に思い付いたのは痛め止めの薬ロキソフェミン錠の効果有効時間です。インターネットで調べてみると飲んでから効果が消えるまでは約45時間であることがわかりました。病院では朝食後、昼食後、夕食後の三回服用することになっていました。ということは夕食から翌朝の朝食まで12時間ほどの時間があるのです。これでは夜中に薬の効きが切れる時間帯が生じます。担当医に薬の服用時間をずらす許可をもらい夕食時に飲む薬を夜中の12時に飲むように変えてみました。しかしやはり午前2時〜3時ごろに激痛に襲われるのでした。結局退院するまでこの問題は解決できないままとなりました。そればかりか退院時にさらなる問題が見つかることになりました。退院前日に血栓ができていないか超音波エコー検査が行われ血栓が見つかり大変に怖い深部静脈血栓症に罹っていることが判明したのです。 この深部静脈血栓症をインターネットで調べてみると必ず血栓が肺に飛び肺塞栓症になる危険性が述べてあります。エコノミー症候群で亡くなる人の原因もこの肺塞栓症だそうです。深部静脈血栓症が見つかったことで退院日がずれるのかと思いましたが予定通りに三週間での退院となりました。深部静脈血栓症の薬として渡されたのはリクシアナOD(15mg)でした。渡されたときに決して怪我をしないよう注意してくださいと言われました。又量を間違えて飲むと脳溢血をおこす可能性もあるとも言われました。退院しても心配事は亡くなりません。

 

リハビリについて

リハビリは文章では説明しにくいのですが何をどのぐらいするのかについて簡単に記すことにします。リハビリの目的は人工関節の周りの筋肉や皮膚をほぐして膝の動きを日常生活に困らないところまでもってゆくことにあります。信じがたいかもしれませんが手術の翌日から始まります。勿論初日は患部が腫れていて痛いのでベッドのそばで立ち上がって10分ほど足関節の屈伸運動をして終わりです。初日から膝の屈伸運動をしないと人工関節の周りの筋肉等が固まってしまうのを防ぐのです。二日目も同じことをもう少し時間をかけて行います。三日目からは車椅子で東京医療センター内にあるリハビリセンターへ連れていかれて本格的なリハビリ訓練が始まります。このリハビリセンターでの訓練は毎日一時間行われます。訓練の内容は段々レベルが上がってゆきます。毎回初めに理学療法士により私が悲鳴を上げるところまで膝を押し込まれその屈折角度が記録されます。当然ながら日増しに屈折の角度は増えてゆきます。それが終わると椅子からの立ち上がり運動や手摺りづたいの歩行訓練等を続けます。次の段階は歩行器を使ってリハビリセンター内を一周したりしますが日を追うごとに歩行練習の距離は長くなります。そのレベルが過ぎると杖を使っての歩行訓練となり、その次のレベルになると杖なしで歩く訓練、そして階段を上り下りする訓練、仕上げは杖なしで理学療法士に付き添われて表に出て病院内の庭を一周します。そこまで来るのに三週間かかりましたがそれで退院となりました。

 

費用について

退院の前日費用概算が届きました。14万円と記されていました。保険が効かなければ200万円程度の手術費ですから日本の保険制度はありがたいものです。保険に加入していないでアメリカで手術を受けるとこの1000倍ほどかかるそうです。アメリカにいる私の娘が今年尿道結石で簡単な手術で一泊したところ350万円の請求書を受け取ったそうです。アメリカでは金持ちは保険に入るからよいが貧乏人は病気になったらお終りみたいですね。今回の入院でつくづく日本でよかったと思いました。

 

退院後

退院日にまず担当医に尋ねたのは酒を飲んでもよいかということと自動車の運転はいつから出来ますかということでした。酒は飲んでもかまわないし運転も明日からしてもいいですとの返事でした。酒は退院してすぐに飲み始めましたし運転も一週間も待たずに始めました。確かにアクセルやブレーキを踏むのは足首を動かすだけで膝の痛みは殆ど影響しませんでした。退院翌日から近所の駒沢公園を散歩しだし一日の歩数を2,000歩、3,000歩と増やしていき一週間後には10,000歩まで伸ばしました。しかしこれは良くなかったようでその翌日はかなり痛みが増しました。インターネットでリハビリの注意点を調べると運動は毎日すべきだがやりすぎは厳禁とありました。退院一ヶ月後の超音波エコー検査で一番心配していた血栓が消えていることが判明し気が楽になり現在では一日の歩数を5,000歩までと決めてリハビリに励んでいます。また夜中に襲って来ていた激痛も薄らいできています。

 

さて、体験記では様々な合併症の話をしたので手術を受けるのをビビッてしまう方がいるかもしれません。そんな方たちに参考になる情報を最後にお伝えしたいと思います。

1. 膝の再生医療【変形性ひざ関節症の新たな選択肢】ひざ専門クリニックによる先進的な再生医療 (knee-joint.net) 手術をしないで膝を再生させる最新医療でかなりの実績を上げている。\3,300(税込み)ですぐMRIを撮ってくれこの方法がどの程度有効か説明してくれる。 残念ながらまだ保険適用外なので100万円以上かかるがもし完治出来るならやって損はないと思います。私も東京医療センターでの手術を受ける前にMRIを撮ってもらい説明を受けました。50%から70%の確率で治療できそうとのことでしたが治癒率100%に近い手術の方を選択しました。保険が使える様になれば試してみたかったのですが。成功率が高まるか保険が適用できるようになれば選択肢の一つとして有力です。

2. 大阪の高槻病院(https://www.youtube.com/watch?v=fGI83ekZE1Q
この病院では手術中に周りの筋肉を傷つけない手法を採用し痛み半減、入院期間半減(2週間でリハビリを含めて完了退院)したがって費用も半減です。調べてみると手術実績も東京医療センターよりはるかに上でした。 この病院を見つけたのは残念ながら東京医療センターで手術を受けた後のことでした。もし前もってわかっていたら自宅から遠いですがここを選んでいたと思います。

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