(1)コンピュータとの初めての出会い

私が始めて電算機(当時はコンピュータと言わずにこう呼んでいました)と出会ったのは大学4年の時でした。早稲田の生産研で電算機なるもののデモンストレーションをしているので見に行こうと学友に誘われて行ってみたのです。 デモ室に入ると人だかりの向こうに横長の机のようなものが見えましたがどの部分が電算機なのか分かりませんでした。只、ガタガタ、ガタガタと音がして連続用紙に数字が打ち出されていくのが見えました。 人の組むプログラムなるものによっていろいろな仕事が出来るなどと言うことは全く理解しておらず、単なる印刷機かと思っていたのですから無知も良いところでした。

次にコンピュータと縁が出来たのは留学中でした。ワシントン大学で数値解析(Numerical Analysis)のコースでFORTRAN(科学計算に適したコンピュータ言語)でプログラムを作ることになったのです。既にFORTRANを使っていた親友に解説書を借り初めてのプログラムを組みました。プログラム用紙にコンピュータへの命令のステップを書き、一ステップごと一枚のキーパンチカードに打ち込んでプログラムのステップ数と同じ枚数のパンチカードを束にし、輪ゴムで止めてコンピューターセンターの受付カウンターに置いてきます。翌日には計算結果がコンピュータの連続用紙に打ち出されて出力カウンターに置いてあります。ワクワクしながら印字された計算結果を見ると計算不能と印字されていました。プログラムを一ステップごとチェックして行き間違った箇所を見つけなければなりません。プログラムの間違った部分をバッグ(bug)といい、その間違いを直すことをデバッグ(debug)と言います。初めての事なので中々間違いの箇所を見つけ出せません。とうとう担任のジョーン先生に見て貰う事になりました。ジョーン先生も私のプログラムを見て初めは「どこもおかしくないようだが」と言ってみえましたが、その内「ああ、ここだ、このままだと0で割り算することになるから計算不可能になるんだ」と言って簡単な修正を加えました。その修正されたプログラムを再提出してみると翌日には予期した通りの結果が出て来ました。この時私はプログラミングとデバッギングのやり方を学んだのですが、将来数知れずのプログラミングとデバッギングを経験するプログラマーの仕事に就くことになるとは思っていませんでした。

 

(2)ソフトウエア―会社

帰国後に新聞広告で見つけたコンピュータ関係の会社に就職した。日本電気(NEC)の下請け会社だった。新入社員教育でコンピュータの基礎から学ぶことになった。当時コンピュータ製造会社はIBM以外に米国のバローズ、CDC, GE,NCR, RCA, UNIVAC, HoneywellやフランスのBULL社等があったがNECHoneywellと技術提携をしており我々がお世話になったコンピュータはHoneywell200(日本ではNECnoNEAC2200)であった。大きな空調のきいた電算室の真ん中にドカンと鎮座まします代物であった。電算室に入るには白衣に着替えスリッパに履き替えてそろそろと電算機に近づかねばならなかった。故障も多く毎日メンテ作業が必要であった。

随筆集トップへ戻る