1 .<前書き>

深田久弥の百名山を踏破して何人かの方から何か書き物に残してはどうかとのお声を頂いた。百名山登頂を達成した方を何人も知っていた私は当初あまり大したことをしでかしたとは思っていなかった。ところが時が経つにつれてもしかすると大変なことなのかもしれないと思うようになってきた。山好きな頑強な男が達成したのではない。私は山が大嫌いであった。百名山登頂を達成した今「山が嫌い」とは言えないが山好きのかみさんや山好きの友人達がいなくなったら果たして一人で山に行くだろうか? 答えは多分「否」である。小さいときは虚弱で学校へ上がるまでは入院を繰り返していたし、小学校でも体育の評価はいつも低く、運動会の徒競走はいつも尻、野球が好きでもクラスでは補欠の補欠で試合には一度も出させてもらったことがない。小学校、中学校といじめっ子に虐められるので学校に行くのが嫌いであった。

 

中学へ入学した時体重は28キロで骨皮筋衛門、好き嫌いが多く、野菜、魚、うどん、そばはどうしても食べられず中1の時弁当は一年間毎日パンであった。高2の時2000m徒競争での私の記録が学年最低記録として暫く学校の廊下に張り出されていたのを今でも覚えている。こんな男が最近気付くと小学校、中高、そして大学時代の同級生の中でも丈夫で、スタミナもある部類に入っている。勤めていた頃患っていた糖尿病、慢性膵炎も今では完治している。百名山と関わりが出来たのは退職前後なのを考えると登山のご利益としか考えられない。

 

こんなわけで山が苦手であった私の百名山奮戦記を記すことにした。これは登山の専門書ではないので登山ルートや歩行時間等はあまり記していないが山嫌いの方に何らかの興味を持っていただければそれでいいと思っている。

 

2. 初めての山登り

終戦翌年の昭和21年春、疎開先の茨城県新治郡七会村の七会村小学校からの遠足である。学校から1時間程歩いたところにあった「やまもと山」である。麦飯に水っぽいサツマイモ片が混ざった弁当を引っ提げ暑い田舎道を汗をかきかき歩かされ辿り着いた先は岩山であった。都会育ちでひ弱な小学2年生にはキツイ行軍である。岩山は頂上まで黒ずんだ岩で覆われていた。そんなに高い山ではなく両手を使ってよじ登ってゆくと短時間でてっぺんまで登れた。多分丘程度のものだったのであろう。仲の良い友達数人と大きな岩の上で弁当を食べる。その岩のすぐ下には常磐線が走っていた。左手遠方に白煙を吐く黒い点が見えたと思ったらあっという間に近づいて来て轟音と共に右手に消え去った。上野行きの上り列車である。数十年たって懐かしくなり茨城県の地図で常磐線西側にある筈の「やまもと山」を探してみたが見つからない。私にとって幻の山なのか。その内に常磐線の神立駅から線路際を北上し「やまもと山」を探し当てたいと思っている。

 

この初登山以降にも二度ほど山に登る話が出たことがあった。小学校3年時の遠足で東京の高尾山が候補に上がった。ところが高尾山はきついので4年生以上にならないと無理という校長の判断で中止となった。中学2年の夏休みには戦争中に疎開していた茨城県の農場へ友人と泊まりに出かけた。広い畑の向こうに姿の美しい筑波山が見えていた。友人と登ってみたいと話していると宿泊先の大人達に「君たちには厳しすぎて登れるわけがないから止めときなさい」と強く言われ結局登るのをあきらめた。今では高尾山も筑波山もそんなにきつい山とは思えないが当時は戦争中にケーブルカーは撤去されていて麓から歩かねばならなかったことを思えば大人たちの判断も強ち間違っていたとは言えない。さて、それからまもなくして私を大の山嫌いにさせたきついきつい山行に出会うことになったのである。

 

3. もう山になんか登らないぞ

中学2年の秋だった。学年のクラスで東京都の最高峰雲取山に登ることになった。山などに興味がなかったのに参加したのであるから全員参加の行事だったのだろう。 友人からよく「今まで登った山で1番素晴らしかったのは?」とか「1番きつかったのは?」との質問を受ける。印象の良し悪しはいろいろな条件によって決まる。一回目の登山でつまらない山と思っても次に登って見ると全く違う印象で素晴らしい山になってしまうことは往々にしてある。山に登る季節、天候、体調、意欲、同行者、そして選んだ登山ルート等がその時の印象に大きく作用する。私の場合は体調万全で紅葉の真っ盛り、秋晴れの中、家内と登った八甲田山は今まで登った山の中で一番である。さて、話を雲取山にもどそう。どの山が一番厳しいですか?(客観的な問い)との質問であれば答えは違ってくるがどの山が一番厳しかったですか?(主観的な問い)との質問であれば私は躊躇なく雲取山と答える。こんなに苦労して登った山は後にも先にも他にはない。疲労困憊で途中何度となく足が上げられなくなり動けなくなる。三峰口から登ったのであるが行けども行けども新たな尾根が出てきて頂上につかない。引率の先生から登りはあとひとつ、あとひとつと何回も何回も励まされてはだまされ、しまいには先生が狼少年になったように思えてくる。その時の悪夢はトラウマとして残り続け今でも雲取山には登る意欲も湧いてこない。もう二度と山になんか登らないぞと思ったのはこの時である。

 

最近になって自分よりも体力がないと思われる人達がそれ程苦労せずに雲取山に登ってくる。何故だ? 自分なりに答えを出してみる。雲取山に連れて行かれた時、体重32kg、肺活量2400cc(18歳で蓄膿症の手術を受けるまで鼻の奥の酸素吸入口が幼児のものと思われるほどの大きさあった)。登山意欲はゼロ。靴は運動会用の普通の平べったいアサヒ運動靴で親指部分が擦り切れて穴があいている。リュックは三峰登山口に着く前に切れてしまい引率の先生にひもで結んでもらう。正に悪条件下での登山であったのは間違いない。こう考えて納得してみても未だに雲取山に再挑戦する気になれないでいる。それを機に私はもう二度と山には登らないぞと心に決めたのであった。

 

4. 山男の歌

雲取山で山嫌いになってから10数年後、カナダのバンクーバーと米国シアトルとの間の国境近くに位置するマウント・ベーカーのスキー場で転んでも転んでも雪まみれになったまま平気な顔をして立ち上がり急斜面を滑り降りていく女性がいた。妻との最初の出会いであった。私がアメリカのシアトルにあるワシントン大学へ留学した最初の冬である。ところで私には山よりも嫌いなものがあった。歌である。聴くのは嫌いではないが歌うのが苦手であった。大人になっても知っている歌は「ポッポッポ鳩ポッポ」くらいであり「君が代」ですら歌詞を知らなかった。とにかく歌が苦手であった。カラオケのない頃には集まりがあると多くの場合車座になって酒を飲み、宴たけなわともなると誰かが歌い始める。するとみなの手拍子が始まり「お次の番だよ」と順番に歌わされる羽目になる。こんな場に出くわすと私は必ず胃が痛くなり居ても立っても居られなくなり自分の番が回ってくる前に何か口実を見つけてはその場から逃げ出すのであった。スキー場で家内と出会って間もない頃シアトルの先輩の家で集まりがあった。 

 

暫くすると恐ろしい事が始まった。「お次の番だよ」である。急に胃が痛み出した。困ったことに中座する言い訳が見つからない。そうこうするうちにも順番は確実に近づいてきた。そうして終に私の番が来た。何も出来ずに暫し沈黙が続いた時突如彼女が立ち上がって「娘さん、よく聞けよ、山男にゃ惚れるなよ・・・」と歌いだしたではないか。「山男の歌」であった。私を見かねて助け舟を出してくれたのだ。これ以来私は彼女には頭が上がらなくなった。今では我が家の「山の神」となっている。

 

「山男の歌」で窮地を救われた翌年の夏、シアトルの先輩が婚約パーテーをしてくれることになった。その日に彼女に誘われて岩山に登った。Mt.Rainier 近くのマウント・サイである。頂上近くには両手で懸垂をしなければ先に進めない岩場があった。私は高所恐怖症なので躊躇したが彼女に先に登られてしまう。目をつぶってでも頑張るしかない。ここで登らなければ男がすたる。ようやく登りついた頂上からの眺めは正に絶景。山をどうやって下ったかは覚えていないが麓まで降り雪解け水の渓流に飛び込んだ。身を刺すような冷たさであるが心身共に洗われ、始めて登山の楽しみを味わう。今でも山小屋にたどり着いてのビール一杯や下山後の温泉は登山の楽しみであるがMt.サイ下山後の渓流での水浴の気持ちよさに勝るものには未だ出会っていない。

 

 

 

5. 再び山登りへ

結婚してからは山登りから遠ざかっていたがスキーには長男が2-3才の頃から家族揃って出かけた。家内が下の子(赤ん坊)を背中に負ぶってゲレンデを滑る姿は当時でも珍しかったと思う。何年かは本格的な山登りの話は出てこなかったが子供たちが小学生になった頃からかみさんの山の虫がうずき始めた。小さい子3人を連れて北アルプスに行くという。いくら何でも幼い子3人をかみさんだけで面倒見るのは大変だと言うことで渋々お供することになった。最初の山は爺が岳であった。それからは奥武蔵のハイキングコースへ行くことも多くなり、高い山にも毎年のように連れて行かれた。燕岳、西穂等々。すべて夫婦円満、家庭円満のためである。未だに「お父さんは何時もつまらない顔をしていた」と言われるが確かに喜び勇んで出かけたとは言えない。

 

退職の数年前から仕事が極端に忙しくなりストレスがたまり、タバコも吸い出し、十二指腸潰瘍、糖尿病、慢性膵炎等に悩まされ始めていた。これは何か気晴らしのスポーツでも始めないと危ないと感じ始めた。家内が入っていた近所の山岳サークルに入ることになったのは家庭円満のためではなく自分の健康保持のためであった。他のスポーツは相手を見つけなければならないが山ならいつでも先導者が横にいるではないか。こんなふうにして私の山への再挑戦が始まった。

 

6. 登山ヨチヨチ歩き

私は山より海が好きであった。成長した娘たちと海岸に寝そべってゆっくりと海を眺めながら一緒に甲羅干しをするのが夢であった。退職して時間がやっと出来たと思ってももはや娘たちは家にはいない。私にとって相手探しの手間がかからないという意味で手軽に出来る運動は山の神について行く山行である。

 

初めて家内の山の仲間について登ったのは「棒の折れ」であった。雪が積もっていた。何でこんなところを歩くのが楽しいのだろうと思う。一緒になったご夫婦と話をするとご主人は私と同い年であった。仕事をやめて何か趣味を持たないと時間をもてあますので山を始めたという。やはり山好きの奥さんに追従したようだ。このグループについて月に一、二度は山に行くようになった。グループ山行では他人に迷惑をかけぬようてきぱきと行動しなければならない。家に戻ると先ず家内の説教がはじまる。「今日何処そこでの行動にはこういう問題があった。連れて行った私ははづかしかったよ・・・」。いろいろの山に連れて行ってもらったが流石に山好きの人達の集まりで山頂から見える遠方の山々の名前を言い合っている。あんなに沢山の山をどうやって見分けるのか。よくもまあ諸々の山の名前を覚えたものかと圧倒されるばかりである。私の方は山の名前で知っていたのは富士山、浅間山、筑波山、そして高尾山ぐらいのものであったのである。

 

そんな時、高校のクラス会の帰り電車で一緒になった友人が「最近何人かで山に登っているんだ」と話をしてくれた。「僕も最近少々登っているよ」と言うと「どんな山に登ってるの?」と訊かれた。「先週は御正体山に行って来たよ」というとしばし考えていた友は何とか一緒に登れそうな者と判断したのであろうか「今度一緒に行かないか」と言うではないか。酔いのせいもあったが少々山に関して知ったかぶりをしていた手前、後には引けなくなって「うん、ご一緒させてもらおうかな」と言ってしまったのである。その友人の誘いで手始めに唐松岳から五竜岳に行こうと言うことになった。 家内に話すと「それは大変ね。ちゃんとした登山靴を買わないとだめよ。」という。 2・3日すると家内の懇意にしている登山専門の店に行けと言う。良さそうな登山靴を見繕ってもらってあるからと仰せになる。とにかく言われた店に行ってみると家内が良く知っている店員が出てきて奥様から言われてご主人に向いていると思われる登山靴をご用意してありますというではないか。兎に角山にうるさい家内が手配した靴を買うことになる。その時この靴で百名山のほとんどを登ることになろうとは思ってもいなかったのである。こんなふうにして中高年登山を始めていた2人の友人について行くことになった。最初は小手調べで百名山の一つである五竜岳に行くことになった。

 

唐松岳を通って五竜岳の山小屋に着く頃には靴擦れがひどくやっぱり山はだめだなと思い始めていた。それでも友人がガムテープを足の靴擦れの出来た部分に貼ると靴擦れにならないと教えてくれた。不思議なことにその通りであった。翌早朝山小屋を出て五竜岳の頂上を目指す。結構な岩場であったが約1時間程頑張って山頂に到着。絶景であった。しばし休息して下山を始める。五竜遠見のアップダウンの続く長い下りであった。これでもかこれでもかと上っては下り上っては下る長い尾根で再び山が嫌いになりそうになる。やっとのことで五竜スキーゲレンデのゴンドラ乗り場までたどり着くと疲れがどっと出てくらくらする。しかしながらゴンドラで地上に下り食べたかき氷イチゴは美味かった。安曇野の別荘にいた家内が車で迎えに来てくれた。亭主の初本格的登山の成否が気になっていたに違いない。

 

7. 標高3000m以上の21座登頂を目指すことになる

日本には標高3000m以上の山が21座ある。高校同期の山仲間とはどうせ山に登るなら何か達成可能でしかもあまりやさしくはない目標を立てようと言うことになりこの21座の登頂を目指すこととなった。21座とは高い順に並べれば富士山(3776m)、北岳(3192m)、奥穂高岳(3190m)、間ノ岳(3189m)、槍ヶ岳(3180m)、悪沢岳(3141m)、赤石岳(3120m)、涸沢岳(3110m)、北穂高岳(3106m)、大喰岳(3101m)、前穂高岳(3090m)、中岳(3084m)、荒川岳(3083m)、御嶽山(3067m)、農鳥岳(3051m)、塩見岳(3047m)、仙丈ヶ岳(3033m)、南岳(3033m)、乗鞍岳(3026m)、立山(3015m)、聖岳(3013m)である。これらの内13座は日本百名山にも選ばれている。高校同期の山仲間4人中2人は既に南アルプスの北岳、荒川岳、悪沢岳、赤石岳、仙丈ヶ岳には登ってしまっている。南アルプスは北アルプスや中央アルプスに比べるとベテラン登山家向きの山が多く、後発の新人2人が単独で挑戦するのは楽ではない。そんな訳でこの山仲間ではなかったが同じ高校時代の友人で学生時代から山に取り組んでいた山のベテランS君に頼んで一緒に行って貰うことになった。

 

9月の出発予定日には運悪く台風が関東地方を通過し大変な天候となった。しかしこの機を逸すると3人の都合が付くのはずうっと先になってしまい南アルプスの登山シーズンを外れてしまう。一か八か決行してみようと言うことになり朝9時頃東京を風速20mを越える強風の中車で出発する。静岡を通過するあたりで風はますます強まり心配したが登山口の椹島に到着した頃には風も弱まって来た。翌日は台風も去りうす曇ではあったが登山には問題ない天候となった。台風の中出掛けると言う一見無謀な決断が功を奏したこととなったのであった。大変な苦労もあったが友人に誘われて始めた標高3000mを超える山21座の踏破は5年間で達成できた。

 

8. 登山の嫌なところと大変なところ

山に登って何が楽しいのですか? とはよく訊かれる質問である。確かにいやなことが山ほどある。まず、早起きしなければならないこと。山小屋泊まりの縦走にでもなれば3時ごろから起きだし4時前には懐中電灯で足元を照らして出発する。そんな時に限って大いびきをかく奴や歯軋りのうるさい輩と同宿となる。睡眠管理と排泄管理は登山する者にとっての大問題である。寝具が湿っていたり暑すぎたり、寒すぎたりすれば神経質な人間は寝られたものではない。又、排泄物は小の方は山の中でも問題ないが大となるどこでもよいというわけにいかず適当な場所が見つかるまで痛い腹を抱えて辛い行軍が続く。という訳で出発前に是非とも済ませておくべきなのだが普段と違う早朝にうまく排泄できるかが問題なのである。山小屋の便所は混んでいることが多いしグループで登山している場合は長い時間待たせるわけにはいかないので短時間で済ませる必要がある。便秘症の家内が羨ましくなるのはこんな時である。山に登り始めると20〜30分で汗が出てきて身体中グショグショしてくる。気持ち悪いことこの上ない。

 

真夏の尾根歩きは直射日光にあたり頭がクラクラしてくる、喉もからからになる。そんな時には水を多めに持って行くのだが重量がかさんで登りがきつくなる。次に問題となるのは靴擦れだ。どんなに足に合わせて買ったつもりでも急登や急な下りが続くような山に行けば早かれ遅かれ足のどこかがすれて痛みだす。何時間歩いても何処も痛くならないような既製登山靴にあたる事は期待できない。そこで各自工夫をする。敷き革の厚みを調節したり、足と靴との間にパットを貼り付けて足を保護する。そういう努力をしても登山し始めて2−3時間で痛みが出てくる靴、5−6時間くらいまでは大丈夫な靴ということになる。そのような履いてゆく靴の許容時間を越えて歩くときには少しでも痛くなりかかったらすぐ靴を脱いで足の痛む部分にテーピングすることが肝心である。早めの手当てを怠って歩き続けると痛みのため歩行困難になることすらある。

 

又、強風や激しい雨の中での山行も大変である。雨具や懐中電灯は登山の際の携帯必需品であるが雨具を着ると蒸し風呂に入ったようで汗でぐしゃぐしゃになる上岩場や木の根っこがつるつるして一歩一歩神経を使うことこの上ない。ある時五日間山に入りその期間毎日連続して土砂降りにあったことがある。夜はテントの中まで水が流れ込み一晩中水をかき出す作業で寝ることが出来なかった。もう二度とあんな目には会いたくない。ただ、それ以降ちょっとした悪天候などはなんでもないと感じるようになったことは確かだ。とにかくこんなに嫌な事の多い山登りに何故出かけるのか自分ながら答えが出せずにいる。

 

9. 百名山登頂を目指すこととなる

標高3000m以上の21座を踏破した時点で数えてみると既に百名山を30近くも登っている。この時ふと思った。 家内は既に70近くの百名山を登っていたが特に百名山踏破を目指してはいない。既に登っている山でも人に誘われると出かけて行く。どうせ家内のお供で山に登るなら少しでも多くの百名山を登ってみたい。そんな思いから家内が山の友達と私の登っていない百名山にゆく時は努めて連れて行ってもらうことにした。便乗である。百名山を目指し自分で計画し単身登山で完登した人はすごいと思う。私のように人に便乗して登ったのに比べると数倍の価値があるだろう。そうこうして我が家の「山の神」に付き合って山登りをしている内に百名山の半分近くに達した。年々体力の衰えを痛感し始めていた頃である。挑戦するとなるときつい山は少しでも体力のあるうちに登ってしまわねばならない。

 

未だ登っていない大変そうな山をリストアップして見た。利尻山、笠ヶ岳、光岳、高妻山、皇海山、トムラウシ、平ヶ岳、飯豊山、富士山、幌尻岳、宮之浦岳であった。利尻山は登りそのものも可なりきついがそれよりも夏の登山シーズンに利尻島の宿を確保するのが大変なのである。悪天候で登れずに帰ってきた人の話も聞いていたので予備日も考えるとこちらの都合よい時に宿を確保するのが難しい。笠ヶ岳は新穂高からの笠ヶ岳新道は距離があって大変であると言う。光岳(テカリ)は他の山からちょっと離れたところにありなかなか他の山を登ったついでに寄って来るというわけにはいかない山である。高妻山はアップダウンが9回もあって登りがかなりきついと聞いていた。皇海山(スカイ)は登山口までのアクセスが距離のある悪路で大変であるという。普通の乗用車では難しいのでランドクルーザーのような車で行くしかないと聞いていた。トムラウシは登山時間が長い上に雨に降られると大変な泥沼の登山道となり苦労するという。現に私より先に山仲間と登った家内は帰りに膝まで泥水に埋まり大変な苦労をしていた。平ヶ岳は正規な登山ルートで登ると距離があるうえ上に山小屋がないのでテントを持って登らなければならないという。

 

飯豊山も奥が深く長時間歩く上避難小屋で寝るための寝具を持ってゆく必要があると聞いた。富士山は大勢の人が登るが高度のため登山病にかかる恐れがあるというのでやはり少しでも体力があるうちに登っておきたい山である。幌尻岳は何箇所もの渡渉場所があり天候が悪いと水嵩が増して渡渉できなくなり登山不可能となるか又は運良く登っても水嵩が引くまで何日も山の上で待たなければならなくなることがある。十分な予備日を持って計画しなければならず時間に余裕のない人には時期を選ぶのが難しい。屋久島にある宮之浦岳は遠くて出向くのが大変だし雨の多い屋久島なので天候の良い日にぶつからないと土砂降りの中を長時間歩かねばならないことになりかねない。やはり時間と財力が必要な山の一つである。以上の山には積極的に機会を作り早めに挑戦することにした。

 

10. 体力と時間と財力

ある時親しい友人が「百名山を目指すには所詮体力と時間と金がなければ出来ないさ」と言った。まあ、外れてはいないと思うがもう一つ必要なのはやってやろうという強い意志である。次に大事なのは言うまでもなく体力で時間や財力があっても体力がなければ山へは登れない。時間はあるに越したことはないが勤めている間はなかなか何日も連続して休みを取るのは難しい。こつこつ少しづつ片付けて行くほかない。金がなければテント持参で宿泊費は倹約できるが遠くの山に行くにはやはり交通費はかかってしまう。百名山は北は北海道から南は九州まで広く散らばっているので交通費は無視できない。北、中央、南アルプスに多くの百名山が集中しているので比較的関東地方に住んでいる人は有利かもしれない。しかし北海道は存在する百名山の数も多く退職後で時間に比較的余裕があっても数回に分けないと全部はカバーできない。九州は屋久島を除けば一回で回れないことがないが北海道の山はアクセスその他の条件が難しく数回に分けないと回れないようである。私の場合も3回に分けざるを得なかった。長野県に家があったので比較的安い交通費で登れた百名山も多かったがやはり平均すれば交通費・宿泊費込みで1座あたり1万円以上は掛かっているだろう。ちょっともったいない気もするがそれによって得られた健康を考えれば決して高くはないと思っている。

 

11.富士山に登る

標高3000m級の山に挑戦していた時、富士山に登るチャンスは意外に早くやってきた。山中湖にあるとあるリゾートホテルが富士山登山の企画をたて参加者を募っているのを知った。家内は既に登っていたしこの際一つ一人で参加してみるかと思いたった。登山前日件のホテルには登山希望者8名ほど集まっていた。見たところ私が一番の年長者である。若者たちについて行けるのかちょっと不安になったが行くしかない。ホテルの登山随行者に翌日の行程の説明を受けながら明日の仲間と夕食を共にし早めに部屋に戻って就寝した。

 

翌朝、早めにホテル側が用意した朝飯を食べホテルのマイクロバスにて出発する。幾つかある登山口のうち一番ポピュラーな吉田口5合目(2305m)に向かった。5合目に付くと7月中旬であったためか既に大勢の登山者でいっぱいであった。そこで出会った一人のかなり年配の登山者は今回が290回目の富士登山だと言っていた。富士山詣でをする人がいるとは聞いていたが驚きの回数である。富士山は一度登れば良い、あれは眺める山で登る山ではないという人が多い中何に取りつかれてそんなに登るのだろうか? 私は一度登れば充分だと考えている方である。

 

5合目から3800m近くある山頂までは標高差が約1500mであるから気温差で約10度、又、山道では通常1時間で標高差300m登れるから5時間から、酸素不足で後半ペースが落ちれば6時間かかるかなと予測して歩き始めた。6合目を過ぎ、7合目を過ぎた頃気が付くと一緒に登り始めた同行者達は遥か後ろになってしまっているではないか。グループで登山する時には単独行動は厳禁であるが私の場合は自分のペースを崩すと疲れるので特別今回は許してもらった。私の場合、普段だと標高2100mあたりから酸素吸入量減少の影響で息切れが始まるのだがこの日はどういうわけかほとんど息切れが始まらず、8合目に付いた時には仲間の姿は遠く下の方でほとんど見えなくなっていた。 8合目まで3時間弱で登ってしまったわけである。どん尻になることを覚悟していたのに意外な結果であった。

 

どうしてそうなったのか考えられる理由が3点ほどあった。まず、私は登って行く先が見えているのが好きである。舗装道が苦にならない。階段が好きである。富士山はこの条件に合っている。目標地点が見えながら登れる御嶽山も比較的楽な気分で登れた記憶がある。仲間が全員8合目まで登ってくるのを待つこと1時間以上であった。2−3人が疲労のためか高山病かでダウンしていたのと雨が降り始めたので初日はここで終わりとし小屋で一泊することになる。

 

翌朝3時頃から頂上を目指して登り始めたが強い雨と暗さのため展望はゼロである。 2泊することは出来なかったので浅間大社奥宮の小屋で富士登山証明のスタンプを押してもらい下山することとなった。 残念ではあったがこのときの経験で足に自信を持つようになった。有難う富士山、万歳!である。

 

12.皇海山(すかいさん)

皇海はスカイと読むのだが初めてこの山の名を耳にした時には英語の「Sky」だと思ってずいぶん面白い山があるなと思ったものである。 又、日本三百名山の一つである中央アルプスの越百山(こすもやま)も初めてコスモと言うのを耳にした時には宇宙を表す英語の接頭辞「Cosmo」と思いずいぶん雄大な名前が付けられているなと思ったものである。もっとも奥穂高岳西南西にあるドーム型の岩稜はフランス語のジャン・ダルム「gens d’armes」(憲兵、転じて前衛峰の意)と呼ばれているのであるから日本の山の名に外国語が使われていると思っても不思議はない。

さて、皇海山に登るには栃木県側の銀山平から庚申山・鋸山をへて皇海山にいたる伝統的なルートと、群馬県側の不動沢からのルートがある。庚申山頂への登り、鋸山の峰々の登降は梯子、鎖が数多く現れる険しい道のりであり、初心者には勧められないと言われている。群馬県側の不動沢ルートは、自家用車を利用すれば比較的短時間で登頂することができる。家内からは庚申山経由のルートは難しいと聞いていた。初めから不動沢ルートしか考えていなかったのであるがこちらのルートは登山口までのアプローチが難しいと言うのだ。長い悪路で普通の乗用車では無理だろうとも聞いていた。

家内は皇海山には既に登っていて一緒に付き合ってくれる様子もない。あのひどい林道を長時間、車に揺られるのはいやだと言うのである。そこで思いついたのが高校同期の山仲間N君の頑強な4輪駆動車であった。 N君に話すと喜んで一緒に行ってくれると言う。善は急げと同じく高校同期の山のベテランK君にも一緒に行ってもらうことにした。

登山当日、群馬県沼田市利根町の老神温泉近くから林道に入ってでこぼこ道を約1時間走って登山口に到着する。確かに悪路ではあったが普通の自家用車では無理と言うほどのものではなかった。登山口には新しい立派なトイレが出来ていたので家内達が登山した後で、林道ともども皇海山登山者の為の整備が進んでいたのかもしれない。登山口からの登山はそんなにきついものではなく紅葉をたのしみながら楽しく登山を終えた。帰路老神温泉に泊まり無事皇海山登山は終ったのである。

富士山にしろ皇海山にしろ大変な山と考えていただけにちょっと拍子抜けした感がある。

 

13.畏敬の念を起こさせる釼岳

ハイシーズンの山小屋は混んで大変である。特にお盆の期間になど訪れようものなら、たたみ一畳に3人も寝かされるような羽目に合う。 こんな場合、上を向いてなど寝られず皆横向きになっていわしの缶詰のようになる。 夜中にトイレになど起きようものなら戻って来ると自分の寝るスペースは完全になくなってしまっている。 元の場所に潜り込むのは至難の業である。 退職後は時間を自由に使えるのでそのような時期をはずして登山計画を立てることが出来る。 高校同期の山の仲間と行くことになった釼岳は登山前日の山小屋泊が盆終了日になるよう計画した。

 

長野県側の扇沢からトロリーバス、ロープウェイ、バスと乗り継ぎ、室堂に到着したの午前10時前であった。一休みしてから覚悟を決めて雄山への急登にかかる。山頂は雄山神社のあるピークで、標高は3003メートルである。社の真後ろに釼岳の威容が見えてくる。 目の前に延びる大汝から別山へと稜線を辿り二日目にあの頂に立つのが目標なのだ。白馬、鹿島槍、裏銀座、槍、穂高、薬師・・北アルプスの名 だたる山々はすべて視界の中にあった。雄山神社の裏側を回り込むようにして岩稜を伝うと、立山最高峰の大汝山はすぐである。釼岳に登るためにはこのようにまず3000m級の山々を超えていかなければならないので大変である。


大汝山を過ぎて高山植物の咲くなだらかな道をしばらく行くと、富士の折立から砂礫の急な下りに変わり、真砂乗越に降り立つ。 山頂のピ ークは突き出た山稜の先端にあった。その先端に立つと、これまで胸から上しか見えなかった剣岳が、ここではその全容を余すところなく見せるのだ。 剣沢を隔てて堂々と天を圧する釼岳を目にした瞬間背筋がゾゾッとした。 まさにサタン(悪魔)の山ではないかと思われるような怖さがあった。切り立つ黒い岩肌が登山者を寄せ付けないぞと言っているようだった。あんな山に果たして登ることが可能なのだろうかと思わずにはいられなかった。 畏怖と同時に畏敬の念を抱かさずにはいいられない釼岳があった。

 

そこから雪渓を四つほど横切りながら釼沢を下ると宿泊地の釼山荘である。 盆休みの登山客が去った後の山小屋はすいていた。 山小屋には珍しいお風呂にゆっくり浸り疲れを癒して夕食をとり翌日の行程を調べて早めに床に入った。 翌朝は午前3時半に小屋を出る。暗いのでヘッドライトで足元を照らしながらの行進である。急な岩道を登るのだが足元だけを見ながら進むので怖さはない。未だ暗いうちに可なり登ってしまったので明るくなっても目に入るのは周りの岩肌だけで恐ろしい釼岳の威容は目に入らないのが幸いした。


鎖や鉄梯子が架けられているので岩場の連続でも何とか通過でき予定通り山頂にたどり着けたが登りの「カニのタテバイ」とか下りの「カニのヨコバイ」と言う難所はスリルがあった。 特に下りの「カニノヨコバイ」は岩に削られている足場が見えないので先に降りている人に最初の足を置く位置を教えてもらわないと足が中ぶらりんになって怖いことこの上ない。 鎖も、梯子もましてや岩に彫られた足場もなかった時に登頂した人がいたと言うのは驚きである。

 

百名山の中でも釼岳は私が家内より先に登った数少ない山の一つである。 数ヶ月遅れで釼岳に登ってきた家内に「どうだった?」と聞くと「あなたが言っていたほど難しい山じゃなかった」との返事であった。

 

 

14苦労を避けて登った百名山

登頂はしたけれど登山をしていない百名山も幾つかある。自動車、ケーブルカー、リフト等を使えばハイキングのような感覚で1時間もかけずに頂上まで歩ける百名山があるのだ。 高い順に挙げれば乗鞍岳(3026m)、草津白根山(2171m)、剣山(1955m)、霧が峰(1925m)、蔵王山(1841m)、大台ヶ原(1695m)、岩木山(1625m)、八幡平(1613m)、伊吹山(1377m)、筑波山(876m)といった所である。草津白根山、霧が峰、蔵王、大台ケ原と八幡平は登山者の多くが頂上近くの駐車場まで車で行きハイキング気分で頂上まで歩くのが普通と思われるがそれ以外はちゃんとした麓の登山口から登り始めればそれなりの時間がかかる山々である。麓の登山口から正規のルートで登頂を目指す登山家には敬意を表するが私はすべてをして乗り物を使ってしまっている。

 

乗鞍岳は登山と言っても標高2740メートルの畳平まで自動車で登ってしまうので、実質 300メートルの高度を自分の足で歩くだけである。畳平駐車場から肩の小屋までは広い車道を歩く。その先から登山道らしくなり歩き始めて1時間程度で乗鞍岳最高峰の剣ケ峰に立つことができる。

剣山(つるぎさん)は名前から北アルプスの釼岳(つるぎたけ)と混同しやすいが四国に二つある百名山のうちの一つである。因みに四国にあるもう一つの百名山は石鎚山(1982m)である。剣山は登山口の見ノ越まで車で行き、そこからリフトに乗ると頂上近くまで運ばれてしまう。そんなこととは知らずにリフトに乗ってしまったがここは歩くべきだったと思う。里山に登ったみたいで頂上についても何の感激も起きないのである。やはり山はある程度は苦労して登らないと達成感がわいてこない。

 

岩木山は麓からの正規登山ルートが数本ありそれぞれ4〜5時間の登りである。私と家内はその日のうちに八甲田山も登って酸ヶ湯温泉まで行く計画だったのでスカイラインを8合目駐車場まで車で行った。そこからはリフトを利用しなくても頂上までは大した距離ではない。私達が駐車場に付いた時はリフトの運行時間前だったのでリフトに沿って早足で登った。リフトの上に着くと岩木神社からの登山道を登ってきた年配の登山者に出会った。5時間ほどかけて登ってきたようだが途中で熊に出会って大変な思いをしたと言っていた。麓で熊が出ていて危険と聞いていたがやはりほんとうだったのだ。 幸いなことに我々は熊との対面なく無事登山を終えた。 

伊吹山は名神高速道路から眺めると滋賀県の最高峰だけあって威風堂々とみえる。伊吹山ドライブウエイを9合目まで自動車を走らせた。ひどい濃霧で視界は30メートルあるかないか。山頂駐車場に着いても乳白色のミルクの海に沈みこんだようだ。右、左と適当に移動して山頂表示のあるところへ登った。20分ほどで山頂についてしまった。これで伊吹山へ登ったというにはちょっと後ろめたさが残る。

 

筑波山はケーブルカーを使うと山歩きに慣れていない御仁でも1時間も歩けば男体山、女体山を回れてしまう。一度は麓から歩いて登ってみたいと思っている。

 

15.高妻山
高妻山はまっすぐに頂上を目指さずに遠回りして、さらにアップダウンが続き、最後は相当な急登があるので、百名山の中でも難関の山と評価している人が多い。通常の登山路は

戸隠牧場から入り一不動に始まり、二釈迦、三文殊、四普賢、五地蔵岳、六弥勒、七観音、八薬師、九勢司と九つのアップダウンを経て十阿弥陀が高妻山となるが、未だ途中である。十一、十二と来て、十三虚空蔵の乙妻山で始めて完結する。山登りなので登りは当然だが、あいだに下りがあると「何で下がっちゃうの」と恨めしくなる。多少楽なアップダウンを含んでいるとしても九つもあるともううんざりする。似たような体験は雲取山登山の時と五竜岳からの遠見尾根へ下った時に味わって以来のものである。

 

高妻山は家内も登っていなかったので二人して出かけることになった。体調が良く天候も良い時を選んで戸隠の宿坊に前泊し登山日の早朝戸隠牧場へと車を走らせた。牧場には既に数人の登山者が登山の準備を始めていた。我々は靴を履き替えるだけで登山準備は完了。直ちに牧場の柵を超え登山道へ向かうと家族で高妻山へ向かっている一行に追いついた。道を譲ってくれたので「お先に失礼」と声をかけて先に進んだ。私と家内は一時間に5分休憩を取るペースで登るので中高年の登山者としては早い方かもしれない。

 

アップダウンが多いので牧場から山頂までの単純な標高差より相当長い距離を登ったことになるが各アップダウンには石仏があり何処まで登ったのかがはっきり解る。 これが反対に大きなはげみとなりペースを崩さずに進めた。高妻山山頂には標準登山時間よりかなり短い時間でたどり着けたのはそのせいかもしれない。頂上からの北アルプスや妙高、火打、焼山等々の展望は素晴らしかった。弁当を食べるにはちょっと早すぎる時間だった。

 

初めは高妻山だけで引き返すつもりであったが時間が余りすぎてもったいない。一寸きついが乙妻山まで行ってみようという事になった。こういう時二人だと直ぐ決断できるのが嬉しい。高妻山から乙妻山までは標高差はほとんど無いのだがスリリングな岩場が続き神経を使う。一時間弱で乙妻山山頂に到着。乙妻山山頂からの高妻山の山容は見事である。

 

高妻山から先に足を伸ばす人はかなり少なく、静かな山頂であった。大部分の人は高妻山だけで下山するが、それは乙妻山まで足を伸ばすのは日帰りの行程としてはきつ過ぎるという事らしい。我々は苦労したおかげで喧噪の高妻でなく静かな乙妻山頂でゆっくり休むことが出来たのである。高妻山から乙妻山までは行きと同じく一時弱で戻り、一気に下山を開始した。牧場近くまで来ると高妻山だけで引き返してきた件の家族一行に追いついた。乙妻山まで言ってきたと告げるとあきれた顔して「凄い健脚ですね」と言われた。私もついに健脚の仲間入りをしたようである。登山前に難しい山だと聞かされていると覚悟がきまって気合が入り楽勝するケースが多いみたいである。

 

16.平ヶ岳

平ヶ岳に登る正式なルートは新潟県魚沼市鷹ノ巣からの登山道で、そこから下台倉山〜台倉山〜池ノ岳を経て平ヶ岳山頂にいたるルートである。山頂はなだらかで高層湿原があるのだがそこまでの行程が長い上、山中に山小屋はなく、また道中はキャンプ禁止なので健脚者向けの山である。健脚者ですら往復10時間以上はかかると言うのだからその凄さが解る。その正規ルートで登ってしまっていた我が家の山の神はさすがだと思う。

 

深田久弥の『日本百名山』のうち、奥が深くて大変だと言うのは飯豊本山にも言われるがこちらは上に非難小屋があってシュラーフを持っていけば一応泊まれるのであるから大変さは平が岳の方が上となるようである。こんな大変な山に付き合ってくれる人を見つけるのも大変である。ところがインターネットであれこれ平ヶ岳の情報を集めていると比較的楽に登れるルートのあることが判ってきた。それは皇太子が平ヶ岳に登ったときに用意された特別な登山道とのことである。皇太子が訪れると山小屋が改装されたり、水洗便所になったりいろいろと便利になるところが多いのであるが特別な登山道まで用意されることがあるとは知らなかった。インターネット上では、そのようなルートは環境を破壊するし、公にすべきでないとの意見も見られたが既に大勢の百名山ハンターが利用していることも判った。

 

私もこの楽に平ヶ岳に登るルートを利用する誘惑には勝てなかったのである。早速、高校同期の登山仲間K君とN君を誘い中ノ岐林道の送迎をしてくれる銀山湖(奥只見湖)の伝之助小屋に予約を入れたのである。当日はN君の奥さんの参加も得て無事平ヶ岳登山に成功した。確かにこのルートは楽な登山道で、あれほど長いこと大変な山と覚悟していた平ヶ岳を簡単に済ませてしまい後ろめたい気がする。

 

17.山で出会う怖いもの、煩わしいもの(1)

山行で出会う怖いもの、煩わしいもの挙げれば熊、蜂、マムシ、小虫(私は顔にぶんぶんまとわり付いてうるさいので以下ぶんぶん虫と呼ぶことにする)、蛭、笹ダニ、雷、落石、強風、濃霧等であるが、ぶんぶん虫、蛭、笹ダニ以外は命にかかわるので細心の注意が必要である。山に行くとよく「熊に注意」とか「マムシに注意」とか「落石注意」といった立て札を見かける。熊が冬眠している真冬の期間を除き春先から冬が訪れるまでの間、登山者は必ず熊除けのための熊鈴、口笛等を持って山に入るのが普通である。人によっては山行中、携帯ラジオをがんがん鳴らして歩いている人もいる。兎に角音が聞こえれば熊の方から近寄ってくることは無いといわれている。私は登山中に熊に出くわしたことはないが熊に同僚が食われてしまったと言う人に出会ったことがある。熊はやはり登山で注意しなければいけないものの筆頭ではないだろうか。

 

蜂は大したことないと思っている人もいるかもしれないが、これが大間違いで、下手すると命を落とす羽目になるから怖い。大抵の毒素は、身体の中に入った後、血流に乗り肝臓で分解されて無毒化されますが蜂毒は、人によっては「アナフィキラシー」と言うアレルギー反応を引き起こすことがある。これは最初に刺されたときに、身体の中に蜂の毒に対する抗体ができて、二度目に刺されたときにそれによって激しいアレルギー反応を起こす現象である。現に知っている方の奥さんは生まれつきのアレルギー体質のためか登山中に鉢に刺されてそのまま帰らぬ人となった。

 

又、私の家内は甲武信岳に登る途中で蜂の大群に襲われ命からがら麓の病院に駆け込み、点滴を受けて何とか命を取り留めた経験がある。その恐ろしさは死ぬと思ったほど大変だったらしくそのトラウマの為二度と甲武信岳には登れないと言っており私が百名山を踏破した後も家内は甲武信岳を除く99名山登頂のままになっている。蜂の巣の近くに人が近づくと一人目、二人目までは、様子を伺っていて三人目が来るとわっと襲い掛かると言う。家内も甲武士岳に登った時には三番目を歩いていたそうで同行の登山者のグループ中被害に遭ったのは家内と四番目に歩いていた二人だけであったと言う。

 

マムシは登山靴を履き、しっかりした服装で足元に注意して歩けばまあ大丈夫と思われるがマムシでなくても歩いている目の前に蛇が現れれば背筋がぞっとして嫌なものである。ぶんぶん虫と言うのは正式名ではないが顔の周りに無数に飛び回り手で振り払ってもしつこく付きまわり動いても一緒についてきて煩わしいことこの上ない。特に厄介なのは耳の穴に飛び込んだり、目玉に取り付き、コンタクトレンズのように眼球の上にくっ付いてしまい取れなくなる。完全に取り除くには他の人にティッシュペーパー等で取ってもらうしかない。家内と登山しているとほとんどの虫は家内の方に行き、私には付きまとわない。どう言う訳か虫が好む人とそうでない人があるようである。だがこのぶんぶん虫だけは例外で、私にもよってくるので一番苦手である。

 

18.山で出会う怖いもの、煩わしいもの(2)

次に山蛭である。これは怖いと言うより嫌らしいし、気味が悪い。蛭はどこの山にもいるというわけではないが蛭の多い山があちこちに存在する。有名なのは千葉県の麻綿原高原や丹沢、光岳の登山道などである。たちが悪いのは山を歩いているうちに気がつくと何匹もの蛭が足元から偲び上がって来て足のすねやひどい時には下着にまで潜り込んで至る所血だらけになっていることである。蛭も虫に似て攻撃されやすい人とそうでない人がいるようである。幸いなことに私は一度も蛭の餌食になったことが無いが同伴者が血だらけになったのは目の当たりにしている。山蛭は塩をかければ解けてしまうが登山者用には蛭除けスプレーも売っている。

 

山で笹藪を通って進むと気が付かぬ間に笹ダニの取り付かれていることがある。山蛭と同じように気が付かない間に肌に取り付くのだが蛭よりたちが悪い。蛭の場合には血をすって膨れ上がった蛭は皮膚の表面にくっ付いているので取り払うことが出来るが笹ダニは気が付くのが遅いと皮膚の中に潜り込みどんどん内部に食い込み、取り出すのが大変なのである。一度、家内の腕の皮膚に食い込んだ笹ダニを針を使って皮膚の下から穿り出したことがあるが気が付くのがもう少し遅ければ医者に行って切開してもらわねばならなくなったかもしれない。家内が虫に神経質になっているのも頷ける。

 

山で雷に遭うと生きた心地がしない。毎年何人かの登山者が雷に打たれて命を落としている。木立の中を歩いている時なら何とか身の隠し場所も見つけられるかもしれないが石ころだらけの尾根道などで雷に遭うとどうしようもない。雷が早く遠のいてくれるよう神に祈るしかない。燕岳から大天井岳を通り槍ヶ岳に向かって東鎌尾根を進んでいた時、突如雷が鳴り出した。周りを見渡しても身の隠し場所が見当たらない。この時ほど慌てたことはない。普通は天気予報を良く調べてこのような事態に遭遇しないよう登山計画を立てるのであるが天候が急変し危ない目に会うこともあるのである。

 

19.山で出会う怖いもの、煩わしいもの(3)

落石も下手をすると命取りになる。山を登っているとちょっとした弾みで石を蹴落としてしまうことがある。蹴落とした登山者は即「ラク!」と言って後続の登山者に警告を発することになっているが石に弾みがついて勢いを増して落ちてゆくと大変に危険である。登山者が蹴落とす石はあまり大きくないので大事に至ることはあまり考えられないが富士山や白馬の大雪渓等でかなり長い距離転がり落ちてくる石はたとえこぶし大ほどのものでも当たれば命を落としかねない。 特に雪渓を転がり落ちて来る石は音がしないから時々上方周囲に細心の注意を払って進む必要がある。

 

強風も又厄介なものである。風の通り道になっているような尾根では身動きできなくなることがある。先に進もうと思って片足を持ち上げると体が流されてしまう。唐松岳から五龍岳に向かう途中、尾根の大きな岩道に差し掛かった時であった。雨と強風の為に足が動かせなくなったのである。歩こうとすれば間違いなく吹き飛ばされ尾根から転落すると思われ身動きが出来なくなった。結局、長い時間をかけ身を低くし、すり足で安全な場所まで少しづつ移動したのであるが、その時の恐怖は今思い出してもぞっとする。もし、長い間動けずにいれば低体温に陥りかねないのである。

 

濃霧で道を誤り山で遭難する登山者は多い。山の天候は変わりやすくしかもその変化は急激である。さっきまで晴れていたのに一瞬にして霧が出て来て、周りが見えなくなることは往々にして起こりうる。特に午後になると霧が多くなるのが常である。そんなわけで山頂での良い展望を望むのであれば午前中に(出来れば10時ごろまでに)山頂にたどり着くよう計画する。又、山で泊まるなら山小屋には午後3時までには着くようにするのが登山の常識のようである。もし霧にまかれたら、必ず晴れ間が現れるのだから慌てずに時を待つ、要は地図とコンパスを持つこと、そして使い方に慣れておくことが大切である。

 

20.暑さ、寒さとの戦い

かんかん照り、灼熱の太陽の直射日光を浴びながらの登山は我慢ならないし、逆に厳寒下での登山も又辛い。そんな悪条件は避けて登山計画を立てるのが普通である。しかし、予想できない天候の急変によって余儀なく過酷な天候下、山歩きをせざるを得なくなることがあるのである。頂上まで背丈より高い木に覆われている山の場合は問題ないが、ある高度から上は木が無いか、あっても潅木しかない山は結構多いのである。真夏にそのような山に登れば暑さで苦労するが、私の場合は意外にも一番辛かったのは北海道の十勝岳に登った時であった。うだるような暑さで頭が朦朧としてきたのである。

 

しかしながら私には寒さの辛さの方がより印象に残っている。9月の末に日光の奥白根山に登った時である。朝から曇ってはいたが登山開始直後から気温がどんどん下がってきて岩場の鉄梯子では手がかじかんで確りと梯子を握れないほどになった。山を下る頃には小雪がばらつき始めたのである。9月にこんな状況になるなど予期していなかったので大きな驚きであった。又、12月初旬ではあったが四国の石鎚山に登った時も天候の急変に遭遇した。前日に同じく四国にある百名山の一つ、釼山に登った時はぽかぽか日照りで鼻歌交じりで気分爽快であったのに、その夜から寒冷前線が入り込み翌朝石鎚山に登るべく、ゴンドラの麓駅に付いた頃から雪が降り出した。ゴンドラを降りて歩き始めても雪は降り続け、山の中腹ぐらいまで行くと既に登山靴が雪に埋もれるほどとなった。吹雪になったのである。山頂に着いたときには周りは真っ白でないも見えない。前日との温度差は実に20度ほどあったと思われる。

 

次に思い出されるのは11月初旬岩手山に登った時である。登山前日岩手山麓の神社前にテントを張った。夜、早飯を済ませ厚着をしてテント内のシュラーフ(寝袋)に潜り込んだが猛烈な寒さで身体の芯まで凍りそうに感じられ眠れるものではなかった。我慢できずにテントを飛び出し身体を温めるため神社前の広場を駆けずり回った。20分も走ると少し身体も温まって何とか眠ることが出来たのである。翌朝隣のテントの人に「夜中にずいぶん走り回っておられましたね。」と声をかけられた。またテントの思い出としては仙丈ケ岳、甲斐駒ケ岳に登った時である。仙丈ケ岳に登った日に翌日の甲斐駒ケ岳挑戦に備えて北沢峠にテントを張った。仙丈ケ岳に登った時点ではぽかぽか陽気であったのだが夜半から急激に冷え込みだした。夜中に寒さの為目が覚めたついでに近くのトイレに行こうと思ってテントから出ると周りは真っ白に霜が降りていた。このときの寒さも尋常ではなかった。昼間と夜の温度差が20度以上になることはそんなに珍しいことではない。やはり秋に入っての登山には防寒対策を怠ると大変なめに遭う。

 

防寒対策を甘く見てひどい目にあったことがある。やはり11月初旬であった。蓼科山に登ると頂上付近で白いものがちらつき始めた。頂上の小屋の傍で弁当のおにぎりを食べたが寒さで身体ががたがた震えだす。小屋の外側に掛かっていた温度計はマイナス2度を示していた。マイナス2度ぐらいは大したことの無い気温なのだがその日は厚手の衣類を持っていなかったのである。薄いウインドブレーカーを通して寒さが身体に襲い掛かってきたのだ。やはりフリースの上着などは常にリックに入れておくべきだと悟ったのはこの時である。

 

21.谷川岳

谷川岳と聞くと大変きつい山だと思う人が多い筈である。私もその一人であった。世界で一番死者を出していることで有名な一の倉沢の岸壁があるからである。しかしながらロッククライミングを目的とするのでなければむしろ易しい山なのである。土合からロープウエイで天神平まで行けばそこから谷川岳(1963m)までの登山道は天候さえ良ければ無理なく歩ける。

 

秋のある日、朝起きて秋晴れの空を見て家内に「これから谷川岳に行ってみようか?」と言われた時私は一瞬ひるんだ。大変な話ばかり聞いていたからである。しかし落ち着いて山の地図で調べてみると谷川岳の頂上は2000mもないことが分かった。家内と私はいつでも気が向いたら山に行けるように登山用の準備を整えてあるので行くと決めれば30分もかけずに出発できる。朝未だ早かったので早速車に飛び込み谷川岳ロープウエイの麓駅に向かった。1時間ほどで土合に到着しロープウエイに乗った。

 

ロープウエイで天神平に着くと雲ひとつ無い晴天で眼下には紅葉に輝く山々が広がっていた。そこからの尾根伝いの登山道は爽快で疲れを感じる前にトマノ耳に着いてしまったのである。ところが大したこと無いと思ったのはそこまでで下山で大変な思いをすることとなったのである。

 

帰りはロープウエイなど使わずに西黒尾根を下ろうと言うことになったのだが下りだすと岩場が多く、しかも天気なのにどういうわけか岩の表面がぬるぬるしていて滑りやすくなっていた。所々岩に足場用の刻みがついていたのだが全く私の歩幅に合わず大きな岩を腰をかがめてずり降りねばならないところが多くて非常に時間が掛かってしまった。下りの得意な家内はそんなところでも結構な速さで降りていってしまう。初めの内こそ途中で待ってくれたのだがその内私の視界からきえてしまうことがおおくなって、私はますます焦ってしまったのである。もっとも家内も後では「あそこはきつかったわね」と言ってくれたが3時間余の悪戦苦闘は二度と挑戦したくないものとして記憶に残っている。私にとっては百名山登山を通じて下りでは西黒尾根ははダントツの苦しさであった。

 

22.山と高山植物

高山植物に全く興味を示さない方も無くは無いが多くの登山者達は美しい高山植物を観察しながらお互いに花の名前を言い当てっこしながら歩いている。山によっても季節によっても、又山の高さによっても見られる花の種類が違ってくるのが平地に咲く花と違うところである。私も初めの頃は全く花の名前が分からなかった。仲の良い友人が最初に教えてくれたのは「白山ふうろう」であった。「これを知らないと高山植物を知らないことになる」と言われたのを覚えている。

 

私も多くの山を登ったおかげで今では30前後の高山植物の名前は分かると思うが家内の方は知っている花の数が一桁違っている。一緒に歩いていてあれこれ花を指差し訊くと大抵は答えてくれる。家内は知らない花に出合うと私に写真を撮らせる。家に帰ると直ぐに高山植物図鑑を引っ張り出して研究している。差がつくのも無理は無い。私は4・5回教えてもらわないと覚えられないが「ウサギギク」、「キヌガサソウ」、「カタクリ」、「ゴゼンタチバナ」、「コバイケイソウ」、「コマクサ」、「タカネマツムシソウ」、「チングルマ」、「ツマトリソウ」、「ニッコウキスゲ」、「ハクサンフウロウ」、「ミヤマアキノキリンソウ」、「ミヤマトリカブト」、「ヨツバシオガマ」、「ワタスゲ」等々、良くお目にかかる高山植物は流石に覚えてしまった。努力もしたことがある。ある夏のシーズン、家内に挑戦しようと思って70種しか載っていない小図鑑を毎日見て全部分かるようにしたのである。しかし、翌年になったら三分の一も覚えていなかった。それ以来無駄な努力はしないことにしている。

 

23.山で出会う野鳥

山ではいろいろな鳥に出会う。高校同期の山仲間の一人はバードウオッチングでもベテランである。一緒に山に行くことが多かったので出くわす鳥をいろいろと解説してもらえた。美しい色をしているのに声の悪いカケスを除けば美しい鳴き声の鳥が多い。中でもオオルリとコマドリは美声である。又、渓流でよく耳にするミソサザイの鳴き声は元気を与えてくれる。樹林帯ではホオジロ、カワラヒワ、キビタキ、ウグイス、コゲラ、青ゲラ、赤ゲラ、ヤマガラ、ヒガラ、センダイムシクイ等々に出会うことが多い。雄と雌では雄の方が圧倒的に色鮮やかである。美しいウソ、オオルリ、赤ゲラ、青ゲラは見ているだけでも飽きない。ウグイスは登山道の至る所で鳴き声が聞こえるのだがなかなか姿を見せてくれない。稜線に出るとホシガラスや岩ひばりが登場する。

 

又、北アルプス高地の潅木地帯では運が良ければ雷鳥を見ることが出来る。親鳥の後をヒナ鳥がヨチヨチついて歩く姿はなんともほほえましいものである。雷鳥は飛べないので普段は潅木の茂みに隠れている。地上のオコジョ、キツネ、テン、空からのイヌワシ、クマタカなど等の天敵から身を護るために、霧や雷雨で視界の良くないときに出てくることから雷鳥と呼ばれるとのことである。そういった視界の良くない時でも登山客はチャンスとばかりに雷鳥を探し回る。雷鳥にとってのいちばん怖い天敵は、高山植物を踏み荒らし、巣を撮影する登山者達であるのかもしれない。

 

24.山で出会った動物達

鳥ほど種類は多くは無いが山歩きの最中に野生の動物に出会うことがある。北海道ではエゾヒグマ、ナキウサギ、キタキツネに出会った。北海道ではキタキツネの体表面や糞などを媒介とするエキノコックス症の感染も問題視されていて山中では人は天然水を飲まないよう注意されている。そんな話を聞いていたせいか出くわしたキタキツネは汚らしくてみすぼらしく見えた。岩手県の早池峰山では登山口へ向かう自動車道では車の直前をツキノワグマの子熊が転がるようにして横切ったことがある。 子熊のそばには親熊がいるので注意しなければいけないと言われているが、この時は車の中から見たので怖さは無かった。ぬいぐるみのような真っ黒な可愛い子熊であった。オコジョには一度しか出会っていない。可愛い顔をしているが大変凶暴な性格と聞いている。キツネ、リス、猿、鹿は比較的低いところで出くわすことが多い。猿はボスを中心に集団で移動していることが多く、出くわすと歯をむき出してこちらを威嚇してくることが多い。いのししや熊はお呼びでないし、大きなカモシカは可愛いと思わないがデズニー映画に出てくるバンビのような可愛い鹿には三度ほど出くわしている。動物との出会いでは親子の情を感じさせられたこともあった。

 

北アルプスの麓の渓谷に沿った山道を歩いていた時に山道横の窪みにうつぶせになった親キツネの死体を発見した。毛並みから見て死んでからそんなに時が経っているとは思えなかった。そこから50mほど歩いた時である。渓谷の対岸、距離にして20mも無い岩場の穴から身を半分ほど乗り出している子狐が目に入った。 こちらをじっと見つめている。コマーシャルに出てくる子狐ような可愛い目をしていた。先ほど見かけた親狐の子供なのかあまりのあどけなさに暫く見とれてしまったのである。親狐がどうして山道の途中で亡くなったのか理解できなかったが生き物の哀れを感じずにはいられなかった。これとは逆に亡くなった子鹿を見守っていた鹿に出会ったことがあった。

 

日光の中禅寺湖傍の低い山に登った時であった。樹林帯の中の道を歩いていると突然10mほど先から親鹿が立ち上がり走り去ったのである。なんとそこには死んだばかりと思われる子鹿が横たわっていたのである。我々が通りかかる迄親鹿が動かなくなった子鹿をうずくまって見守っていたものと思われる。子鹿がなんで死んでしまったのかは分からなかったが、この光景も心の痛むものだった。