「おーい、健さん、名前を貸してもらえないか?」米国留学時代の友人木村君からの電話だった。「名前貸すってどういうこと?」と聞き返すと「実は今勤務している国際機関を辞めようと思っているのだけど辞めるにあたって後釜を推薦しないといけないんだよ」とのこと。要するに後釜として入ってくれなくてもいいからとりあえず推薦させてほしいというのである。良く聞いてみると木村君の勤務しているのは日本に国際事務局を置く数少ない国際機関だという。誰でもかんでも推薦すればいいというものではなくやはりある条件を満たしている人物でないといけないのだそうだ。加盟各国からきているさまざまな国の人間と自由に仕事が出来ないといけない。「健さんはアメリカの大学も出ているし長年外資系の会社で英語を駆使して管理職の仕事もこなしてきたので候補者として問題がないばかりか現在国際事務局の方では理工系の人物を採りたがっているんだよ」と言う。たまたま外資系企業のコンピュータ部門で働いていた健はなんとなく大きな歯車の一部としか感じられない仕事に物足りなさを感じていたところであった。そんな訳で健はとりあえず木村君の誘いに乗って面接を受けることを承諾した。面接場所は赤坂のホテルニュージャパンのバーだった。 待ち合わせ時間にホテルに行くと木村君と彼の上司の山際氏が待っていた。木村君がにこやかに健を山際氏に紹介した後、山際氏から30分ほど質問を受け、山際氏からは国際機関の説明があった。数日して何か自作の英語の論文あったら提出してほしいとの連絡が入った。たまたま務めていた外資系企業のセミナーでちょっとした英作文を書いていたところだったのでそれをコピーして山際氏に送った。するとすぐ面接に来てほしいとの連絡が入った。 面接に行くと人事担当のフィリッピン人オフィサーTが単独で現れ聞き取りにくい早口の英語で諸々の質問を始めた。これが20年以上も務めることとなった国際機関Nへの取っ付きだった。

 国際機関Nに入った健には新しい経験が待っていた。ここからは本人の口から語ってもらおう。

国際機関Nに移ってそれまで外資系企業でもらっていた65万円の月給62万円になった。一見損したように見えるが実はそれがそうでない仕組みがあるのだった。国際公務員である国際機関Nのオフィサーは一旦日本の税法に従って毎月月給から所得税が引かれるがその全額が年2回に分けて還付されるのである。この還付の手続きは米国のTax Returnのように個人個人でしなくても事務局により自動的になされる。年俸制であったのでボーナスはなかったがこの年2回の所得税還付時期が一般企業のボーナス期に当たっていたのでボーナスをもらう感覚で受け取れる。これは大変助かった。まず所得税の還付であるからボーナスと違って業績に左右されないし給料が上がるに従って増えてくる。日本の所得税は累進課税だから給料が上がれば税率が上がり手取りの増加分はだんだんと少なくなる。それに反して所得税の還付額は給料が上がるに従って大きくなる。一番うれしかったのはこの制度を知らない家内に内緒でこの還付金を自分の口座に振り込んでもらい自分の小遣いとして自由に使用出来たことである。ところが良いことばかりではない。勤務は2年契約ベースであり業務の内容が悪ければ契約を更新してもらえない。即ち一方的に首になる可能性があるのだ。労働組合もないので終身雇用の保証など無いので危険と言えば危険な就職なのだ。

国際機関Nに入って間もないころ上司に飲みに連れていかれ、先ず情報網として加盟国のすべてに愛人を作れと言われた。上司はポケットからおもむろにコンドーム取り出して見せた。日本で可愛い女の子に出会ってもとても声もかけられない私にはとても外国人の愛人を作ることなど不可能である。その話はそのまま聞き流すことにしたが加盟国の人間とのコミュニケーションは仕事をするうえで大変重要なことなので職場の諸外国職員とは家族ぐるみの付き合いをするように努めたし、加盟国から日本に来る研修生達を日本滞在中に自分の休みを犠牲にしてまでも近辺の観光地にドライブに連れていったり都内ガード下のいっぱい飲み屋でサラリーマンのコミュニケーション方を観察させたりいろいろ各国の未来の要人達との友好を強める努力をした、それに罹る費用はあくまで自分の仕事をしやすくするためのものなので自腹をきらねばならない。1回で数万円の出費となることはしばしばであった。

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